不易流行 〜インドのファッション&ビューティ〜

FASHION & BEAUTY in INDIA/インドの多様性を映す民族衣装サリー情報をはじめ、昨今のファッションやジュエリー、コスメティクスのトレンドをご紹介。

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    先日、在ベンガルール日本国総領事館の中根総領事から晩餐のお招きを受けて、我々夫婦は総領事公邸へお伺いした。わたしは、先日の一時帰国時、自分のために購入し、「ナマステ福岡」でも着用した赤い京友禅サリーを選んだ。日本の色合いだな……と改めて思う。

    昨年、わたしが急遽、コーディネートすることになったJWマリオットホテルでの着物ファッション・ショーに、中根総領事も参席されていた。その流れで、今年の天皇誕生日式典では、京友禅サリーの展示をさせていただく運びとなった。

    着物や京友禅サリーの展示だけでなく、日本の伝統的文化や工芸品の紹介、また日本とインドの関係史など、ここ数年、インドの人たちを対象とした催しやイヴェントを何度か開催してきた。かような活動に関心を持っていただいたことから、今回、夫婦ともども、ご招待をしてくださった次第だ。

    美味なる日本酒や日本料理をいただきつつ、夫もわたしも普段通りの饒舌さ(インド基準)で、会話は弾む。わたし自身が今、関わっている日本とインドのプロジェクトなどについても、ご相談する好機となった。

    天皇皇后両陛下のお写真を眺めつつ、日本国の政府機関を象徴する紋章でもある「五七桐(ごしちきり)紋」が施されたグラスを手にお酒をいただく。何とも感慨深い。温かなおもてなしに心より感謝する。

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    折に触れて記しているが、海外に住むほどに、自分が日本人であることを強く認識する。日本にいれば、わたしをして「坂田さん」「美穂さん」となるが、海外ではおおよその場合、「日本人のミホ」「日本人女性のミホ」あるいは単に、「あのジャパニーズ・レディ」という具合に、はじめに「日本」ありきだ。

    ましてや、我が家のように、夫がインド人となると、日常生活や会話の中にも、「日本では」「日本人は」というフレーズが頻出し、日本を客観的に捉えながら語ることが多い。従っては、好むと好まざるとに関わらず、自分の行動は一個人のものに留まらず、「日本」という国のイメージにさえ影響を与えることになる。日の丸が常にそばにある。

    「いつでも日の丸を胸に収めて、民間外交を堂々とやりなさい」

    明治時代、ボンベイに渡りマッサージ医院を開業した、かつて「からゆきさん」だった島木ヨシさんの言葉だ。マハトマ・ガンディやネルーにもマッサージを施していた彼女の経験たるや……。

    からゆきさんについては、かつてセミナー動画で言及し、さらにはYoutuberの眞代さんからのリクエストでコラボ動画も作った。そのときに使用した資料もGoogleDriveにアップロードしているので、ぜひご覧いただければと思う。闇に葬られた日本の近代史の片鱗を知るのも有意義だ。

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    「国際親善の基は、人と人との相互理解であり、そのうえに立って、友好関係が築かれていくものと考えます。国と国との関係は経済情勢など良い時も悪い時もありますが、人と人との関係は、国と国との関係を越えて、続いていくものと思います」

    これは、上皇天皇のお言葉だ。

    2013年、わたしはインドに来訪されていた天皇皇后両陛下(現在は上皇上皇后両陛下)御拝謁のお茶会に招待された。その一連の経験は忘れがたく、我が人生で一番、ありがたくも緊張した時間でもあった。自分でも気づかなかった「自分の中の日本」に、自分でも驚いたものだ。この時期、わたしは、天皇皇后の外交の記録動画などを、Youtubeを通して片っ端から拝見した。

    ご尽力とご配慮、ご記憶力……どれをとっても、尋常ならない卓越の域だと、心底、感銘を受けたものだ。

    インド生活20周年。節目の年にふさわしい出来事が続く。急がず、欲張らず、丁寧に、真摯に。自分を生かせる仕事をこれからも続けていこうとの思いを新たにする。

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    👘家族の記憶を紡ぎながら、色褪せない伝統衣装。着物ショーで躍動する半世紀前の和装(2024/10/28)

    🇯🇵チェンナイにて。天皇皇后両陛下御拝謁のお茶会参席を巡る個人的な体験(2013/12/07)

    🇮🇳🇯🇵「からゆきさん」を探る〈前編〉貧しい時代の日本。身を挺して海外で働いた女性たちの歴史を紐解く

    🇮🇳🇯🇵「からゆきさん」を探る〈後編〉「からゆきさん」を経てボンベイでマッサージ店を起業。タフな女性の生き様に見る民間外交。誇り高き信念。

    「からゆきさん」動画で使用した資料(Pdf)をこちらにアップロードしています。
    https://drive.google.com/file/d/1RamguJFCc3BZQuHF5MXIC2fvMv5zLZy3/view?usp=sharing

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    日曜の夜、バンガロール市街東部のホワイトフィールドへ赴いた。目的地は、和食レストラン「Hachi by Tenya」。新規開店前日の試食会に招かれたことから、浴衣姿で参上した。有松絞りのぶどう柄が気に入っている。

    「Hachi by Tenya」というからには、日本の「天丼てんや」と関係があるのかしら……と思いネットで調べて驚いた。「天丼てんや」は、ロイヤルホールディングスが運営していたということを知ったからだ。以前も何度か記した通り、福岡生まれのロイヤルは、わたし個人にとっても忘れ得ぬ思い出が詰まった「日本における外食産業の先駆け」だ。高校卒業後の春休み、わたしが初めてアルバイトをしたのは、かつて九州大学近くにあったロイヤルホストだった。

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    さて、複数の飲食店を擁するコンプレックスに到着。開放的で、何とも心地よい空間だ。ここの「BLR Brewing Co.」というブリューパブと「天丼てんや」がコラボレーションにより誕生したのが「Hachi by Tenya」だという。招待された時刻の7時30分から、わずか5分ほどしか遅れていないのに、すでに日本人ゲストで満席。わたしの席は、友人の志乃さんと伊藤夫妻と同じテーブルでうれしい。

    今回、招待してくれた双日(2021年、ロイヤルホールディングスと資本業務提携)のK氏は、わたしのInstagramをご覧になり、わたしのロイヤル愛をご存知のうえで、招待してくださったとのこと。聞けば、伊藤氏もロイヤルホストでのアルバイト経験があるとのこと。なんという偶然! 諸々、青春時代の思い出が蘇るが、ひとまずは現在に集中。

    前菜をはじめ、寿司や天ぷら、麺類が供されたが、さすが「てんや」だけあり、天ぷらが特においしい! ドリンクはBLR Brewing Co.のメニューから選べる。規模感といい、ロケーションといい、展開方法といい……さすがだ。

    インドでは、業種を問わず「新規開店」はハードルが高い。中でも飲食店は、インフラストラクチャーの整備や内外装工事、リカーライセンスの取得、従業員教育に食材調達網の確保など、諸々の段取りが、超絶たいへん。予定通り動かないのが普通なので、当初の予算を大幅に上回ってしまいがち。ゆえに、なるたけ小さめに余白重視でスタートし、体力を温存しつつの柔軟な展開は、切り札のひとつだといえる。

    K氏曰く、当面は、この店をインドのトライアル店舗としてマーケティングしつつ、メニュー開発はじめ今後の展開を試みるとのこと。我が家の近くにもぜひオープンしてほしいものだ。さて、宴もたけなわ、2杯目のグラスが届いた矢先に、閉会のご挨拶。え? もうおしまい?? 早っ……と思いつつも、聞けば、9時半からはインド人ゲストが招待されているという二部制だとのこと。

    ……さすがだ😅

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    自宅に戻り、ロイヤルホールディングスのサイトで沿革を読み、創業者である江頭匡一氏の「私の履歴書」(日経新聞/1999年)を再読する。タタ・グループの元会長であるラタン・タタと並んで、記憶に残っている連載だ。江頭氏もラタン・タタも、空に憧れ、パイロットであった共通項がある。わたし自身の空への憧れが、二人をより一層、魅力的にみせているのかもしれない。

    江頭匡一氏は、我が父とも面識があった。二人は同じ、嘉穂高校の出身でもある。どのような関わりがあったのかは知る術がない。戦後の高度経済成長期からバブル経済に突入するまでの日本の食文化の変遷は、わたし自身が体験してことでもあり、文字を目で追いながら、映像が脳裏に思い浮かぶ。

    1951年。日本航空の東京発、大阪経由、福岡着が、わずか1日1便しか飛んでいなかった時代に、彼は米軍基地での経験を生かして、機内食と空港レストランをはじめた。それがロイヤルの原点だ。1960年代、飲食業は「水商売」とみなされ、銀行からの融資を受けにくかった時代に、しかし松下幸之助をして「日本で最高の経営理念を持っているのは松下電器とロイヤルだ」と言わしめた。

    1968年、江頭氏は45歳で初渡航、約1カ月かけて欧米20都市を巡り飲食業界を視察。洗練された雰囲気とサーヴィスは欧州に、合理的な経営は米国に学んだ彼は、1969年、日本で初めてのセントラルキッチンを導入。1971年、モータリゼーションを見込んで北九州にロイヤルホスト1号店をオープンした。「外食産業」という言葉を日本に定着させ、1978年には外食産業として初めて株式上場を果たす……。

    店づくりに大切な哲学(フィロソフィー)に思い至るまでの経緯もまた面白く、だめだ、紹介したい話題が多すぎて尽きない。

    最後の写真は、今回の一時帰国を終えて、福岡空港から成田へ飛ぶ前に立ち寄った空港内のロイヤルホストの朝食。

    🗞『私の履歴書』江頭匡一(1999年)

    【長くなるが、2022年に書いたブログの記事を加筆修正して転載する】

    ◎高度経済成長期の昭和40年、福岡に生まれた我。外食産業も急成長の時期。ハイカラを好んだ両親に連れられ、新天町「ロイヤル」(ロイヤルホスト前身)によく訪れた。

    ◎わたしが、初めて「ナイフとフォーク」を使ってパンケーキを食べたのはロイヤル。ハンバーグステーキ、グラタンにドリア……。5歳か6歳のころ、生まれて初めて「イタリアン・ピザ」を食したのも新天町ロイヤル2階だった。

    ◎オレンジジュースといえばバヤリースの時代。米国直輸入の果汁100%のオレンジジュースは父の好物。母はショッキングピンクのゼリーがたっぷり入ったサンデーを。私と妹は、ストロベリーパフェやプリンアラモード、くり抜いたオレンジや、メロンの皮が器のシャーベットをよく食べた。

    ◎我が初のアルバイトはロイヤルホスト。1984年高校卒業後の春休み時給430円。面接日「明後日までに暗記してきてください」と渡された分厚いメニュー、百を超える料理名と値段、添えるカトラリーや調味料もすべて暗記して初日に挑んだ。

    ◎バイト初日は、左手にグラス3つ手首におしぼり、右手にグラス2つ「トレーを使わず」供する訓練。ディナープレートも左手に3枚。右手に1枚。複数テーブルを一人で担当。3秒以上の停止は禁止。常に動いてコーヒーやお冷の補充。サンデーやパフェは自分で作る。

    ◎店長曰く「ロイヤルホストには和食がありません。家庭の味には敵わないから。これは江頭の方針です」「スパゲティが硬か。茹でが足りんばい、と言うお客様がいらしたら、これが本場の味だと伝えてください」。「アルデンテ」というコンセプトを日本の大衆にもたらしたのも江頭氏。

    ◎別のロイヤルホストのキッチンでバイトをしていた高校時代の男友達。当時、料理の多くはセントラルキッチンで作られた冷凍物を再加熱し盛り付けるだけだから、調理はさほど難しくなかったという。そんな中「キッチンで、腕前が試されるメニューが2つあるっちゃん。何と思う?」

    ◎考えるも結局わからず、彼が種明かし。「一番難しいのはパンケーキ。あれは、注文受けてから、自分で焼かないかんとよ。均等に焼くの、難しいっちゃん」「あと、サラダの盛り付け。立体的にせないかんと」「俺はどっちも、うまくできるようになったけどね」

    ◎「俺、時給が決まっとうけんって手抜く奴、好かんっちゃん!」「私も! わかる〜。同じ時給でも、私たち、一生懸命働くよね」「仕事って、お金のためだけじゃないと思わん?」ロイヤルホストでの初バイトで学んだことは多い。自らの労働で糧を得るということ。

    ◎初めてお給料を手にした18歳の春から幾星霜。仕事に対する姿勢や熱意は、あのころと、今もさほど変わらない。

    🥞ロイヤルホストで昔日懐古。母校を訪ねて40年前を偲ぶ。(2024年6月)

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    バンガロールを拠点に、インド各地の職人たちによる多彩な手工芸品を販売するバザール、A HUNDRED HANDS。年に2、3回、催されるこのバザールには、これまで都合がつく限り訪れてきた。また、ミューズ・クリエイションで書道や折り紙のデモンストレーションをさせてもらったり、着物の展示をしたりと、関わってきた。

    一昨日は、買い物に集中すべく、訪問したのだった。

    パンデミックが明けて以来、それまで年に1度だった一時帰国を2度に増やし、福岡に滞在する日数も増えている。前回は10月に帰国したばかりだが、次回は来月。母が白内障の手術をするタイミングに合わせて、約1カ月の滞在だ。
    もっとも、ずっと福岡にいるわけではなく、今年は生まれ故郷の熊本など、近場を一人旅しようと思っている。前回訪れて心を奪われた壱岐へは、母を連れていきたいところだが、それは目の具合次第だ。

    インドへ帰る直前の4月初旬、折しも、「ナマステ福岡」というインド関係のイヴェントが開催されることがわかった。帰国直前に立て込むのはいかがなものかと思ったが、せっかくの機会。2日間に亘ってブースを借り出店することにした。

    前回、福岡市美術館で「旅する朝活セミナー/インドと日本を結ぶ布」を一緒に企画・実施したMISAさんにも声をかけたところ、彼女も大いに乗り気で、今回も一緒にやることにしたのだった。

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    A HUNDRED HANDSの創始者であるMalaのアドヴァイスを仰ぎつつ、日本の人たちの嗜好も意識しつつ、しかし自分が気に入っているものやおすすめしたい「良質で軽くてすてきなもの」を中心に選ぶ。

    ひとつひとつの工芸品や職人、アーティストのことについても言及したいところだが……今日はこれからお出かけだ。

    詳細は後日、告知したい。

    [👋A Hundred Hands 01] 手工芸品のバザールにて着物を展示。大好評!

    [👋A Hundred Hands 02 ] 遂にはファッションモデル・デビュー?!😂

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    4週間の福岡滞在を経て、ようやく今日、バンガロールへ帰る。今、成田空港のラウンジにて、長大な記録を書き上げた。その直後、パソコンの妙な不具合で、全部消えた。驚いた。

    今日のところは、多くを語るなということだろう。なにしろ今、やや酩酊状態につき。

    ゆえに、ナマステ福岡2日目の写真だけを載せておく。バンガロールに戻って、今回の稀有な一時帰国と心の旅について、じっくりと記したい。

    初日に着たAshdeenのパールシー刺繍のサリー。そして2日目に着た京友禅サリーにまつわるご縁に満ちたエピソードもまた。

    🌸

    鹿児島、熊本、久留米、東京……。他のご用もおありだったにせよ、予定を合わせて会いにきてくださった方々、本当にありがとうございます。

    一緒に出店してくれた美砂さん、今回もありがとう。

    そしてナマステ福岡主宰者のクマルご兄妹はじめ関係者各位、ありがとうございました。

    🌸

    人間万事、塞翁が馬。

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    母の白内障手術の伴っての一時帰国だった今回。確かにタフなこともあったが、それを補って余りある有意義。今回の旅でさらに深まった故郷の再発見。それに伴う新たな出会いやビジネス。自らの視点と心境の変化……。29年ぶりの弥生の空。舞い降る桜。

    今年は、人生節目の年であり、日本生活と海外生活が30年ずつと、半分になる年でもあり。

    すべてはカルマ。神の計らいか……とさえ思えるご縁の連なりを実感する。

    実家の掃除中に発見された、さまざまな過去からの声。今まで見つけられなかったのに、出てきた思い出の品々など。

    人生とはずっと種まきの連続で、肉体はさておき、精神は、晩年に花開くものなのかもしれない。最後の瞬間に麗しく開花し、潔く散る桜のように。

    高校時代に国語の参考書にあった大岡信の『言葉の力』というエッセイを思い出す。

    ……ん? 気づいたら、またしても書き込んでいる。今日のところはこの辺で。夫と猫らの待つ我が家に帰ります! 😾😼😺😸🤓

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    4週間の日本滞在、最後の2日間を飾るのは、『ナマステ福岡』。一時帰国を決めた後に、このタイミングで開催されることを知り、参加することにした。

    今回は、福岡一色に染まる、わが日本滞在だ。

    かつてミューズ・クリエイションのメンバーだった友人も手伝ってくれたほか、懐かしき元バンガローリアンの友人たちも来訪。初めてお会いする方、従兄弟や旧友……。

    バンガロールから連れてきた品々を売ることもさることながら、主催者や他のヴェンダーの方々、来訪者……。みなさんと語らうことが楽しかった。バンガロールを目指している若者もいた。飛びたて! と願う。

    🇮🇳

    ところで本日のサリーは、わたしが大好きなパールシー刺繍と絞り染めの組み合わせ。大好きなブランドAshdeenで自分の還暦祝いのために購入した。日本へ来る直前に仕立て上がったので、持ってきた次第。本当は誕生日に着ようと思っていたが、日本の方々に、インドの匠を見ていただきたく、着用した次第。

    「きれいなサリーですね」と多くの方々に声をかけていただいた。大半の方が「日本の生地で作ったんですね」とおっしゃる。インドで有松絞りの浴衣を着ていたら、「バンダーニ(インドの絞り染め)で作ったのね」と言われる。

    わたしが意識的に選んでいるとはいえ、日本とインドのテキスタイルの親和性を思う。

    近々、福岡にはインド領事館が開設される。これからは、より一層、福岡とバンガロールの間でできることが増えそうだ。

    書き残したいこと尽きぬが、明日もまた、早起きして現場入り。今日はこれからお風呂に入って寝ます。

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    1年半前の一時帰国時に着物に目覚めて以来、帰国のたびにリセール(中古)の着物を発掘すべく、福岡で、東京で、店舗や展示会を巡ってきた。

    そして今回もまた、リサーチしていたところ、天神の「アクロス福岡」にある「銀座いち利」にて、リユースのバーゲンが開催されているのを見つけた。これは行かねばと、母の眼科&歯科通院の谷間だった木曜日、天神へ赴いた。

    折しも、店内では西陣織の老舗「西陣まいづる」の展示会が開催されている。店内に入るや、伊藤若冲の青い鶏冠の鶏らが、目に飛び込んできた。リユース着物を見るよりも、見事な職人技の帯に俄然、興味が湧き、間近で拝見させていただく。

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    絹糸のしなやかさと輝き、精緻な織り具合が格別で、ほぇ〜……と感嘆の声が漏れるばかり。聞けばこの絹は、三眠蚕(さんみんさん)で織られているという。三眠蚕とは、孵化後に3回の脱皮を経て繭を作る蚕のこと。
    一般的な4回脱皮する「四眠蚕」が作った繭に比べると、繭玉が小さく、糸が細くしなやかなのが特徴だという。触れてみれば違いは顕著。その細い糸で織られているからこその、この精緻な仕上がりなのだ。

    また、内閣総理大臣賞を受賞したという「ゴブラン紹巴(しょうば)」という帯がエキゾチックで魅力的。昨年、エジプトを訪れて以来、すっかり引き込まれなじみとなったヒエログリフや様々なモチーフが、びっしりと織り込まれている。

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    ちなみに紹巴織(しょうはおり)とは、西陣織の代表的な織物で、中国由来の絹織物。一方、ゴブラン織とはフランス起源のタペストリーだ。この帯には、五色の経糸が用いられ、ゴブラン織と紹巴織の技術が融合して織りなされていることから、「ゴブラン紹巴(しょうば)」と名付けられているようだ。

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    さらに目を引いたのは、友人のYashoが東京旅で入手したことで初めて知った「螺鈿引き箔」と呼ばれる技法で織られた帯だ。引き箔とは、西陣織の技術のひとつで、和紙の表面に金や銀の「箔(ハク)」を貼り、それらをごく細く糸のように裁断したもので織る、織物のこと。螺鈿引き箔とは、貝殻の内側の輝く部分を丁寧に剥離し、柔軟になめして和紙に貼り、糸状に裁断して帯に織り込んだもの……。という、超絶技巧が反映された織物なのだ。

    Yashoの帯もすばらしいので、以下の記録をご覧いただければと思う。

    🇮🇳🇯🇵布が織りなす日印の絆:サリーと着物に触れ合う展示会(2024/09/20)

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    ところで、若いころのわたしはゴブラン織りが好きだった。欧米のミュージアムなどで、豪奢でダイナミックなゴブラン織りを目にするたび、見入ったものだ。個人的には、ベルギーを旅した際(東京時代とニューヨーク時代、ドライヴで一周した)のゲント(ヘント)にて出合ったゴブラン織りは本当に好みだった。中世の面影が色濃く残るゲント。久しく旅していない欧州への旅情も高まる。

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    幸い、他のお客さんが少ない時間帯だったこともあり、じっくりと拝見し、京都からいらした「西陣まいづる」の方のご説明を聞くことができた。いち利のスタッフからも、この作品を目にする機会は滅多にないことであり、お話をお聞きできるのは幸運なことだと言われた。

    リユース着物のバーゲンが目的で訪れた着物初心者が、ぐいぐいと関心を示すのは、日本では失礼なことなのかしらとの思いも過ぎったが、せっかくの機会。学ばせていただけてよかった。なお、こうしてソーシャルメディアに記すことはお伝えし、許可を得ている。

    それにしても、若冲の帯は、今、写真で見返しても、麗しくて見入る。帯の見える部分だけでなく「見えない部分」にさえも、味わい深い水辺の様子が描き織り込まれている極まりよ。

    この店でリユースの帯と着物を少し買い求めたあとランチをとり、さらにはわたしが着物に目覚める契機となった新天町の店に赴いた。毎回ここでは、なにかしらの魅力的な着物や帯に出合える。今回もまた、超廉価ですばらしい着物を見つけてしまった。バンガロールに帰ったら、袖を通そうと思う。他の写真も残したいが、膨大になるので、今日のところは西陣織メインで。

    帰宅すれば、多々良川の彼方、玄界灘に沈む夕日を眺める。毎日のように、似て非なる日没を眺められることのありがたさ。名島神社の方角を見遣り、その深き緑の森に向かって合掌をする。

    ミレーの『晩鐘』を思う。

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    福岡は超絶寒い。3月中旬だというのに、なんでこんなに寒いと?! 

    さて本日、無事に母の白内障手術第一弾(左目)終了。第二弾(右目)は1週間後。まだまだ続く小さくて大切な不可欠ケア。ともあれ今日のところは昨日のことを記す。

    一時帰国後の行動範囲は、連日ご近所周辺で地味。眼科やら整骨院の通院メインでは気が滅入ってしまう。週明けからの眼科詣でに突入する前に、楽しい予定を織り交ぜるべく、昨日は久留米まで足を伸ばした。「地場産くるめ(久留米地域地場産業振興センター)」で開催されている久留米絣の一大展示会を訪れるためだ。

    わたしが絣の魅力に開眼したのは2011年。バンガロールで開催されたDASTKAR(手工芸品展示会)で、オリッサ州の絣のサリーを購入したのが契機だ。その直後の一時帰国時に、久留米絣の里として知られる広川町を訪れ工房を取材。当時、5年に亘り連載していた西日本新聞の『激変するインド』に記事を書いた。

    その数年後、たまたま見かけた福岡大丸の特設展示会で、久留米絣の「椿柄」のジャケットに一目惚れして購入したが、それ以外に日本で絣の衣類を買うことはなかった。ところが前回の一時帰国時、やはり大丸の特設展示会で絣ブランドが集っているのを目にし、母と自分のために思い切って何枚か購入したのだった。

    それらをインドに持ち帰り着用すること数カ月。想像通りに着心地がよく、丈夫で、肌にやさしい。特に緩めのモンペ的パンツは日々の部屋着に好適だ。長持ちすることを考えれば、少々お値段が高くても価値がある。すっかり「久留米絣愛好家」となってしまった。

    今回も近場で購入の機会がないだろうかとソーシャルメディアをチェックしていたところ、大丸での恒例の展示会は4月8日からとある。わたしがちょうど、インドに帰る日だ。タイミング悪すぎ……と思っていたら、別の投稿で3月15日16日に、久留米で一大展示会が開催されることを知ったのだった。

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    JR千早駅から久留米までは、鹿児島本線で1時間あまり。車窓からの光景を眺めつつ、思えば久留米駅で降りるのは初めてだと気づく。閑散としているが、九州新幹線も停車する。会場までの送迎バスを待つ間、駅でランチ。案内所でお勧めを尋ねるが、いまひとつの反応だ。「フミヤくんの好きな焼きそば屋がありますよ」ということで、そこへ行った。

    チェッカーズの藤井フミヤや松田聖子はじめ、複数の芸能人の出身地でもある久留米。実はとんこつラーメンの発祥地でもあるらしい。

    さて、会場には久留米絣の作業工程を伝える展示やファッションショーの舞台が設置されている。また久留米絣の歴史や特徴をつぶさに眺められる反物や着物の展示もある。

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    一方、実際に絣の衣類や小物を購入できる20を超える工房のブースが立ち並んでいて壮観だ。ゆるゆると歩けば、魅力的な色柄が次々に目に飛び込んできて、目移りする。とはいえ、気に入った柄とデザインが一致するものを見つけるのは簡単ではなく、そこもまた、吟味しがいがある。

    柄、デザイン、そしてサイズが自分の希望と一致してはじめて、「欲しい」となる。欲しいものが多すぎても悩ましいし、見つからないと残念。そういう意味で昨日は、非常にいい塩梅でいくつかの「欲しい」を見つけられた。

    大丸に出店されていた丸亀絣織物(わたしが着ているグレイのトップを購入)、野村織物、池田絣工房、坂田織物も勢揃いされており、ご挨拶&お買い物。このほか、今回は、藍華田中絣工房、野村雅範絣工場で、「手織り」のすてきな衣類を購入した。

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    さらには! 14年前に取材させていただいた山村健さんと奥さまの羊候(ようこう)さんと再会できたのがうれしかった。お元気そうでなによりだ。2011年のブログの写真も転載しておく。

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    帰り際には館内の「久留米絣資料館」に立ち寄り、その歴史を垣間見た。久留米絣の祖とされる井上伝(1789-1869) の物語も興味深い。インドでは少なくとも1400年以上前から存在したイカット(絣)と、どのような接点があったのか(あるいはなかったのか)、諸々、気になる。

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    この写真は、毎度、我が記録ではおなじみの、アジャンタの仏教石窟壁画に描かれた女性。アジャンタ&エローラ遺跡を訪れたのち、この本を購入し、じっくりと壁画を眺めるなか、この女性の衣服を見たときには衝撃を受けた。トップは絞り染め、ボトムは絣。これが描かれたのは少なくとも1400年以上前……なのだ。

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    ちなみにモノクロの写真は父方祖母の子供時代。100年以上前のもの。上段は左端が祖母だ。女学生らが身にまとう久留米絣の美しいことよ!

    ……またしても、話が長くなる。

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    金曜の日中は、終日、ミーティングで、少し疲れた。1カ月の不在を控えて、荷造りや雑事や仕事の残りを少しずつこなしているこのごろ。無理を避けるべく、夜の外出は控えていたが、このパーティは以前から参加を決めていたこともあり、夫と共に出かける。

    着物かサリーを着ていくつもりだったが、着替えるのが面倒だ。そこで閃き取り出すは、京友禅の大判ストール。黒地に牡丹の、ダイナミックな柄がとても気に入っている一枚だ。

    わたしは京友禅サリーのインドにおけるブランド・アンバサダーを依頼されていることから、実際に着用した感じを見てもらうためにサリーを着用しているが、あくまでも「お借りして」いる状態。取り扱いも丁寧に、汚さぬよう、気を遣っている。

    そんな中、今回、数枚販売されていた大判ストールの中に、わたしが気に入った牡丹のサリーと同じ柄のものがあった。これは実用的だと、先日、自分のために購入した。

    心置きなく着用できる。

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    一方のサリー。自分が気に入っていることから、展示会でもついつい目立つ展示してしまう。

    サリーには、黄金色の文字が描かれている。これがまた、魅力的。気になって調べたところ、サンスクリット語(梵語)の「アン」。辰巳(たつみ)年生まれの守護本尊である普賢菩薩が宿る文字だという。巳年のわたしと一致してうれしくなった。このサリーについては、また後日、記すことになる。

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    京友禅サリーには、丹後縮緬と呼ばれる正絹が用いられている。しっとりと滑らかで光沢があり、適度な重みが優麗なドレープを生む。

    一方、この大判ストールは、同じ丹後縮緬の正絹でも異なる質感。光沢はなくマットで、ふわふわと軽くて扱いやすい。

    今回は、シンプルなリネンのドレスと合わせたが、このストールが主役となり華やかな印象になった。黒や白のパンツやトップとも合わせられるから旅行にも好適だ。ベルトでウエストを締めるのもいいかもしれない。

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    実は、外出の数時間前まで、疲れ気味だったからキャンセルしようかと思っていた。しかし、白い牡丹を身に纏ったら、なんだか元気が出てきた。この夜は、Integration Dinner。人々と少し深めに交流するのが目的だった。

    開催場所が、わたしの好きなTaj West Endだったことも、気持ちを前向きにさせてくれた。インド移住前に初めて泊まった時には、ガーデンシティの象徴のような場所に感激したものだ。20年前の移住直後、住まいを見つけるまでの1カ月弱を、ここで暮らした。ゆえに、思い入れは深い。

    喧騒の外界からゲートに入った途端、異次元に紛れ込んだかのような気持ちにさせられる。夜の緑に出迎えられ、来てよかったと思う。オープンエアのヴェトナム料理店、Blue Gingerと、併設するBlue Barが会場。顔見知りの友人たちだけでなく、新しくて若い仲間らとも言葉を交わす。

    中でも、自ら石炭の会社を立ち上げたという青年の話が興味深く。親は製紙工場を経営しているが、敢えての石炭。その背景の物語を聞きながら、日本の炭鉱の歴史や原子力発電のことなどを語る。

    わたしの生まれ故郷は、熊本県荒尾市原万田。ユネスコ世界文化遺産登録されている「明治日本の産業革命遺産」を構成する一つである「三井三池炭鉱万田坑」がある土地だ。

    今回の一時帰国時、自分の原点を知るべく、そこを訪れることはすでに決めていた。ゆえに、「石炭」というワードにさえも、ご縁を感じる。

    ご縁は、広がりながら収束する。

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    わたしたち、遠いところまで、一緒によく来たね……。と、話しかけながら飾り付けた今年。

    59年前に両親が買ってくれた雛人形。福岡、東京、ニューヨーク、ワシントンD.C.を経て、バンガロールにたどり着いた。歳月を刻んで、中には打撲や骨折、お肌の荒れが気になる人形もいるけれど、適宜、手当をしつつ、飾ってきた。

    一方の、七五三のときに巻いた帯は、未だ色鮮やかに真新しい。写真の中のわたしと妹は、異次元ほどにもはるか遠いのに。

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    展示しているのは、ほとんどが50年以上前の古い着物や帯ばかり。中には大正時代のものもある。たとえば、我がお気に入りの黄色い銘仙(絣)の羽織。アールデコやキュビズムなど、西洋芸術の影響を受けた斬新なデザインが魅力的すぎる。これはリユース着物店で見つけた。

    当時、銘仙は、カジュアルな着物だったようで、ウィキペディアによれば、「女学生や職業婦人などの外出着や生活着として、洋服に見劣りしない、洋風感覚を取り入れた着物である銘仙が広く受け入れられることとなった」とある。
    今の日本よりも遥かに、カラフルでヴィヴィッドな色彩感覚に溢れていたことだろう。

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    このほか、友人Yashoが日本で購入した超絶技法による「西陣織/螺鈿引き箔」の帯を借りて展示。

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    アジャンタ石窟遺跡の、少なくとも1400年以上前に描かれた女性(絞りのトップに絣のボトム)の写真と、母の絞りの着物を一緒に展示。

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    父方祖父母の写真、久留米絣の女学生や、インドとご縁のあった日蓮宗の藤井日達上人の写真など……。

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    インドの女神サラスワティが起源の弁財天。その博多人形。明治時代に日本の若者らによって作られたマジョリカ・タイルのサラスワティ。東南アジアや中国、インドに輸出された無数のカラフルなタイルに彩られた英国統治時代の家具……。

    歴史を綴れば尽きず、物語はあふれる。

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    最終日は、ゆっくりのペースでゲストをお迎えする。実は親しい友人のお母様がお亡くなりになったことから、この日の夕方はお別れの儀式に参加すべく、展示会は早めに切り上げることにしていたのだ。

    午前中はご近所の方が数名ご来訪、午後は、ミューズ・クリエイションの活動にも時折参加されている日本&インドのカップル、そして初日来訪して、再度、ゆっくり訪れたいという学生が、改めて別の友人を伴って訪れた。日本語を学ぶ彼女のおかげで、今回、多くの学生が来訪することになった。小さな出会いから広がるご縁……。

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    以前からこの展示会を楽しみにしていた友人が、急用で参加できなくなる。一方で、たまたま友人に誘われて、急遽、訪問を決める人がいる。すべては「ご縁」であると、このごろは切に思う。

    わたしは学生時代、大学祭実行委員長を務めたのを皮切りに、これまで、数えきれないほどのイヴェントに関わったり、主催したりしてきた。そして、多くの人たちに出会ってきた。その場限りの人たちもいれば、のちのちもご縁が続く人がいる。

    ともあれ、紆余曲折を経て、歳を重ねて、未来の限界が見えてくる今。人との出会いは数ではなく質。老若男女問わず、言葉を交わし、束の間、心を通わせ、前向きな気持ちになれる関係を築ける人たちと、出会い、刺激を与え合いたい。

    ゲストの顔ぶれも多彩な今回の展示会では、その思いを強くした。

    「縁」という言葉が持つ意味を、しみじみと考える。

    わたしたちは、浅い小川に立っている。前方から流れてくる未来は、たちまち後ろへと流れ去る。両手で掬い上げられるのは、ほんのわずか。それらを、大切に、慈しむ。

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    展示会を終えて夕刻、お別れの儀式に向かう。僧侶たちの読経に包まれた、チベット仏教のその儀式は、魂に染み入るものだった。チベット仏教における弔いの在り方を、少し、友人に聞いた。そのときに、本当に驚いたことがある。このことは、多くの日本の方々(特にオウム真理教にまつわる事件を知る世代の人々)にも伝えたく、別途きちんと記したい。

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    ⬇︎展示会の様子がリアルに伝わる動画を作りました。ご覧ください。

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    ニューヨーク在住時の2001年7月、わたしは初めてインドへ飛んだ。夫の故郷ニューデリーで自分たちの結婚式を挙げるためだ。サリーを着たのは、そのときが初めてだった。その2年後、ワシントンD.C.在住時にインドを旅した際、サリーの魅力に引き込まれ、何枚か購入。米国でのパーティでも着用した。

    2005年にインドに移住してからの数年間は、バンガロールだけでなく、出張先の都市や展示会などで多様なサリーを目にし、少しずつ買いためてきた。しかしながら、すでに当時から結婚式などを除いては、パーティでサリーを着るインド友らは少なかった。わたしもまた、ミューズ・クリエイションのメンバーと「サリーランチ」を開催するとき以外は滅多に着なくなった。

    パンデミック時代に、クローゼットの片付けをした。「箪笥の肥やし」になりつつあるサリーを見て「これからは積極的に着よう」と決めた。かつてミューズ・クリエイションのメンバーだったヴァイオリニストのEMIKOさんと「SAREES」というユニットを組み、サリーを着て撮影、Youtube動画を何本もあげるなど、引きこもりの暮らしの中、楽しみを作った。

    ロックダウンの合間に開催されたパーティやイヴェントに、幾度かサリーを着て出かけた。頻度は低いのだが、しかし気づけば「サリーをよく着る日本人女性」という印象を周囲に与えていた。

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    2022年冬、京友禅サリーのプロモーターを依頼され、バンガロールとデリーで2度、展示会を開催した。着物事情に疎かったわたしは「京友禅ってなに?」から始まった。仕事の依頼に伴い諸々を調べ、人に伝えるべく学びながら資料を作り、展示会を終えて、一旦のミッションは完了した。

    その翌年2023年の秋、我々夫婦が所属するグローバル組織YPOの催しで、「日本の食」を語るプレゼンテーションを依頼された。その際、約十年ぶりに浴衣を着た。手持ちはわずか2枚。一枚は高校時代(!)に買ったもの。もう一枚は、十数年前に福岡の中洲川端で買った既製品。久留米絣のシンプルな浴衣は、しかし友人らに好評だったことから、その直後の一時帰国時に浴衣を調達しようと決めた。

    しかし季節は秋。浴衣はない。たまたま立ち寄った新天町の中古着物店で、見事な職人技の着物や帯が二束三文で売られているのを見て驚嘆する。その日、数枚を購入し実家へ帰宅。その後、実家のクローゼットにて半世紀以上も眠っていた母の「ほぼ未着用」の着物や帯を発見! それらをすべてインドに送って、2023年師走、自宅で『着物とサリーの比較展示会』をしたのが端緒だった。

    絣に絞り、更紗……。インドのテキスタイルの影響を受けた日本の呉服。その歴史を紐解くことの面白さ! 以降、半年に一度の一時帰国(都合3回)のたび、展示即売会やリユース着物店へ足を運び、ヴィンテージ(中古)の着物や羽織を探し、少しずつ購入してきた。

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    昨年末、2年ぶりに京友禅サリーの仕事を依頼され、1月に展示会をした。ミッションはすでに終了しているが、現在、十数枚お預かりしている。それらは販売対象だが、着物同様、高価である。気安く購入を勧められるものでもない。まずは優美な丹後縮緬のたなびきや、光沢のある質感や、柔らかな手触りや、その上に広がる職人らの筆の運びの彩りを、直接、見て、触れてほしい。

    だから玄関では、使い捨てスリッパを用意して靴を脱いでもらい、ウェットティッシュで手を拭いてもらい、触って、体験してもらう。百聞は一見にしかず。百見は一触にしかず(坂田の造語😅)。どんなに写真や動画を見たところで、リアルは伝わらない。

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    今回の展示会は、親しい友人複数名が、着物やサリーを見たいというので、開催を決めた。ただ、1日だけだと都合が合わない人がいるため、3日間にした。

    今回はフォトグラファーを頼むつもりはなかったが、展示準備を終えたら「やっぱり記録しておきたい」との思いが湧き上がり、初日の朝、急遽連絡。さすがにその日は無理だったが、2日目には来てもらえた。後日、彼が撮影した動画をアップロードするが、今日のところはiPhoneの写真を。

    インド友らのほかに、かつてミューズ・クリエイションのインターンをしていた学生らやその友人も来訪、久しぶりの再会を楽しみつつの展示を見てもらった。

    この日、バンガロール在住の日本人女性の参加はお一人だけだったが、インド友人らに折り紙を指導してもらった。京友禅柄の、上質な和紙の折り紙は、ただ触れているだけでも、心が沸き立つ。みな、子供のように嬉々として柄を選び、丁寧に、美しく、折っている。とても喜ばれた。

    写真でお分かりいただける通り、絞りの羽織がとても人気だ。前回の展示会で購入し、今回2枚目を買いに来た友人もいた。(3日目の記録に続く……)

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    ⬇︎展示会の様子がリアルに伝わる動画を作りました。ご覧ください。