不易流行 〜インドのファッション&ビューティ〜

FASHION & BEAUTY in INDIA/インドの多様性を映す民族衣装サリー情報をはじめ、昨今のファッションやジュエリー、コスメティクスのトレンドをご紹介。

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

  • 2月23日の天皇誕生日に先駆けて、先週の一昨日の金曜日は、在ベンガルール日本国総領事館主催の天皇誕生日祝賀式典が開催された。会場は、昨年同様、市内中心部にあるRitz Carlton。サリーを翻しながら、優雅な気分でエントランスをくぐり……と言いたいところだが、去年に引き続き、昼過ぎに2台の車で現場入り。肉体労働に始まり、肉体労働に終わる、体力勝負の1日だった。

    昨年は、京友禅サリーのブランドアンバサダーを終えた直後ながらも、まだ手元にお預かりしていたサリーがあったことから、最後のお披露目を兼ねての展示を行った。

    翻って今年は、着物や雛人形の展示を依頼された。さまざまな技法のサリーや着物があるが、特にインドが起源とされる「絞り染め」と「絣(かすり)」のサリーと着物は、どちらがどちらのものなのか、わからなくなるほどに似通っていることから、敢えて同化し調和する感じを紹介したく、選んだ。1500年以上前に描かれたアジャンター遺跡の壁画で踊る女性。彼女が着ているトップは絞り染めで、ボトムは絣である。

    語り始めると、尽きない。

    そして雛人形。これは去年5月、チェンナイにお住まいだった駐在員夫人から、ミューズ・クリエイションの文化交流活動で使用してほしいと寄付していただいたもの。そのときの記録にも残しているが、大小たくさんの段ボールや木箱をInnovaに積んで、陸路で6時間ほどもかけて来訪されたのだ。

    約40年近く、滅多に外に出ることがなかったであろう雛人形たちは、しかしこの1年足らずの間に幾度となく出番があった。我が家で開催した着物やテキスタイル関連の展示会をはじめ、日印こども壁画交流プロジェクト最終日の日本まつり、カルナータカ州商工会議所で開催された国際女性デー、そして今回。

    繊細な手工芸品ゆえ、梱包や搬送にも細心の注意が必要。正直なところ……面倒くさい! と思わないでもないが、日本人、インド人を問わず、このダイナミックな本格派の雛人形に強い関心を示され、さらには南インドの人形祭りとの共通項もあって、インパクトは大きい。

    今回は、金沢大学からのインターン生2名もサポートしてくれたので、随分、助かった。二人とも半年間のバンガロール滞在を終え、一人はこの日の深夜便で、もう一人は。数日後に日本へ帰国する。わずか数回ながらも、彼らと関わり、思いを伝え、さまざまな提言をし、こうして展示会の準備から接客対応までをリアルに共有できたことはよかった。

    最近、若者に対しては、これまで以上に「紙に手書きで記録を残すアナログの重要性」や「自分の足で歩いてリサーチすること」、「人と出会って語り合い、五感で体験すること」、「AIには決してできない自分だけの経験を重ねること」などを強く説いている。たとえ少人数でも、それをストレートにしっかりと受け止めて、歩みを進めている人たちが存在することは、わたしにとって、希望でもある。

    荷物を片付けるとき。レイアウトするとき。しつこいほどに「大きなものから片付けて」を繰り返し口にした。荷物も、クローゼットも、スーツケースも、人生の優先順位も、わたしは概ね取り巻く物事、「大切なこと」「大きなもの」を先に入れるべきと考えている。もちろん特殊な例外もあるだろうが、一般に、小さなものを先に入れると、大きなものが入らなくなる。大きなものを先に入れれば、小さなものは周囲に入れられる。

    毎年、スケジュールノートを新調する。わたしのジャーナルには必ず冒頭に、年間を見渡せる見開きがある。そこに、まず絶対に行きたい旅や計画を、先に記す。その前後は必ず「余白」を作り、旅の前後が立て込まないようにする。仕事や諸々のイヴェントは、その周囲にちりばめる。

    先に細かい予定をランダムに入れてしまうと、壁の再塗装のための9日間を開けることはできなくなるし、年に2回の日本旅1カ月など実現不可能だ。これは時間を有意義に大切に、そして楽しく過ごすための技でもあったと、振り返ってそう思う。

    27歳でフリーランスになったとき、「年に3カ月は休暇を取り、9カ月は働き続ける」という無謀なプランを立てたが、それを2年に渡って実行できた。最終的には1年間の休暇を取ることができたのも(しかしそれが30年になるのだが)、「はじめに願いありき」だった。経済的に余裕がなかったにもかかわらず、目標を立てて動けば実現できた。

    ……雛人形から話が逸れたが、それが「大きなものから詰めてね」の理由である。これを最後に、彼らへの贈る言葉としたい。

    🥂

    今年も華やかな場にご招待いただき、多くの方々と言葉を交わす機会を得られたことに感謝します。そして天皇陛下、お誕生日おめでとうございます🙏

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    クラリネット、、「আ adaiko- RAKU 의 NHAMA PAARAMAAAA HIRO st HIRO SHIG」というテキストの画像のようです
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    、「アジャンタ遺跡の壁画に見る、 古来のテキスタイル AJANTA 1500年以上前に、 以上前に、 アジャンタの石鷹に描かれた壁画。 女性ダ 女性ダンサーが増用している衣服は、 トップはバンダー (絞り染め) ポトムはイカット (彼り楽め)、ボトムはイカット(結)だと思 (餅) だと思われる。」というテキストの画像のようです
  • インドの年末年始は、お祭りシーズンに加えて、結婚式シーズンでもある。親類が少ないマルハン家界隈につき、我々夫婦は「毎年この時期は、結婚式ラッシュで大変……」ということはほとんどないが、それでも昨年末はデリーで開催された姪の結婚式にほぼフルで4日間に亘って参席した。

    今月も2組の友人、遠縁のレセプションに招かれている。これまで幾度も記してきた通り、インドにおいて、おおよその結婚式は、新郎新婦二人だけのものではない。家族、親類、友人、コミュニティ、ビジネス……と、広がる人間関係の輪を強固に、あるいは拡大させる、重要なソーシャルの場でもあるのだ。

    一昨日の月曜夜は、GitanjaliとSandeep Maini夫妻の長男の結婚レセプションに招かれた。今週、我が夫は不在につき、わたしは一人で京友禅サリーに身を包んで家を出る。ブランドアンバサダーの仕事はすでに終わっているが、このサリーは気に入ったので自分のために購入した。丹後縮緬の質感はドレープも美しく、本当に気に入っている。

    さて、すでに先週の木曜から5日間に亘って開催されてきたという結婚式ファンクションの最終日。会場となったパレスグラウンドの広大な一画は、北欧の草原を彷彿とさせる優しい色合いの花々で彩られている。

    GitanjaliとSandeep挨拶を交わし、新郎新婦にも……と思うが、ステージは挨拶と記念撮影を待つ人々で長蛇の列。遠目から二人の門出を祝福し、グラス片手に友人知人らと語らう。ダイニングエリアにはインド料理始はじめ、さまざまな料理が並んでいるが、この日の夜、一番気になったのは「朝食メニュー」であるところのドサやワダ。それに、「たこやき?!」にしか見えない「パニヤラム paniyaram」を味わう。いずれも、おいしい。

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    キャンドルホルダー、照明器具、アマランサス、フレンチラベンダー、テキストの画像のようです

    💐

    バンガロールの中心部に「Gallery G」というアートギャラリーを運営するGitanjaliは、インドの現代アートと伝統遺産の保存を目指すキュレーターでもある。Gitanjaliはまた、インドの著名な画家ラジャ・ラヴィ・ヴァルマの作品を保護、研究し公開することを目的としたRaja Ravi Varma Heritage Foundationの創設者でもある。

    先日、わたしは和製マジョリカ・タイルのモチーフになったインドの神々のことについて言及したが、当時、日本の職人たちが参考にしたのは、ラジャ・ラヴィ・ヴァルマの作品であった

    COVID-19パンデミックによるロックダウンの時期、ミューズ・クリエイションでは多彩なジャンルの動画を制作したが、アートの部門ではGitanjaliの協力を得て、2本の動画をお借りした。それに日本語訳をつけてSTUDIO MUSEのチャネルに公開している。ラジャ・ラヴィ・ヴァルマの生涯とその作品の背景がよくわかるすばらしい動画だ。

    また、彼の子孫である画家Rukminiの動画も非常に興味深いので、ぜひご覧いただければと思う。なお、夫妻はSandeep & Gitanjali Maini Foundation (SGMF)も運営し、インドの芸術や文化遺産を保護、支援する活動もされている。

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    なお、Sandeepは、父親が創業したマイニ・グループを3兄弟で運営している。弟のChetanによって開発されたインド初の電動自動車「Reva」は、わたしがインド移住した2005年前後は、英国をはじめとする世界各国に輸出されていた。当時、自分で近所へ買い物に出かけるのに欲しいと思ったが、充電できる場所が限られていたので断念した。なお、Revaの販売部門は、のちにインド自動車メーカー大手のMahindra & Mahindraに買収されているが、現在もEV部門で同業界を牽引すべくビジネスを展開しているようだ。

    思い返せば、Chetanと妻のKimとは、インド移住直後の2006年、日本料理店「播磨」で一緒に食事をしたことがあった。あれから20年……。今、自分のブログを検索してみたら、見つかった。恐るべし、我が無尽蔵の記録。

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    当時、インドの自動車産業が急成長していたこともあり、さまざまなリサーチを重ね、資料を作っていた。2007年くらいまでは、インドで販売されている自動車メーカーとその車種すべてを暗記していたほどのスケールだったが、今となっては進出しているメーカーの名前を覚えることさえもできそうにない。

    キャンドルホルダー、照明器具、結婚式の画像のようです
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    照明器具、演壇、結婚式の画像のようです

    この夜のバンドは、最高だった。終盤はステージの前でミュージシャンたちを眺めつつ、ライヴに来ているような気分で音楽を楽しんだ。いい夜だった。

    新郎新婦、そしてご家族。おめでとうございます。

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    アマランサス、ユーストマ、ボタン、テキストの画像のようです
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    絵画を通して、神々の姿を具現化。遍く人々に版画で芸術の世界を広めた伝説のインド画家Raja Ravi Varmaの生涯

    ◎Rukminiの軌跡/王女であり、Raja Ravi Varmaの子孫でもある画家Rukmini。時空を超えて、艶やかに描かれた人々

    ◎電気自動車Reva。日本料理で会食の夕べ(2006/3)

    魚。戦場。ゴビ砂漠。電気自動車REVAの詳細(2006/1)

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    フレンチラベンダー、ワスレナグサ、アマランサス、カスミソウの画像のようです
  • 自分のキャリアと経験を全力で投入した『日印こども壁画交流プロジェクト』を終えてまもなく、福岡からMisaさんとMiyukiさんを招いて過ごした1週間余り。毎日が、合宿みたいに楽しくて、食べて飲んで語り合い、大笑いをしながら過ごした。

    綴りたいことは山ほどあるが、毎日、語りに語り合ったこともあり、気づけばすでに諸々が、自分の中で完結していた。

    29日と30日の『福岡クラフトフェア』も無事に終了。

    故郷の九州、福岡が、益々近くなった。

    50代最後の8月に、この機会が巡ってきたことは、ご縁、宿命としか思えない。今回、ホリデーシーズンということもあり、来訪したいと切望しながらも来られなかった友人たちがたくさんいた。新居は郊外ということもあり、時間が作れない人も多く……。

    それでも、遠方から、時間を作って来てくれた友人知人らには、心から感謝する。日本に関心を持ち、敬意を払いつつ、フレンドリーな彼ら彼女らとの交流を通しても、MisaさんとMiyukiさんは、稀有な経験ができたはずだ。

    「量」ではない。「質」を問う、クラフト(工芸)の世界。単に陳列して販売する類のものではない。一つ一つを吟味してくれる人々と丁寧に関わり合いながら、ともに時を過ごし、クラフトの歴史や魅力を伝える。

    語りながら、自分たちもまた、学ぶ。

    ほんとうに、学ぶことの多い8月だった。人生はロールケーキ。ぐるりと一周回って原点回帰。お還りなさい。そして遙かなる次章への旅立ち。

    ……感謝還暦!

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    今週の月曜は、夕刻まで新居で過ごし、二組のゲストを迎えた。

    午前中は、米国から旅行中の、夫のMIT(マサチューセッツ工科大学)アラムナイ(同窓生)の友人夫妻をお招きし、共にランチタイムを過ごす。インド系米国人のお二人は、インドにおけるMITアラムナイの活動にも尽力されている。

    昨今の米国事情。トランプ政権とハーバード大学の問題は、日本でも報道されている通り。トランプ政権は、多様性を求めるプログラムの廃止や学生の取り締まりを大学側に要求して対立。結果、税制上の優遇措置の取り消しや、新たな助成金の申請を認めないと通告するなど、事態は悪化している。同じボストンにあるMITとて他人事ではない趨勢。世界の随所で、困難の火種が燻っている。

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    午後は、先日訪問したThe Registry of Sareesで働く若者4名がご来訪。日本の絣(かすり)を実際に見たいということだったので招いた次第。せっかくの機会なので、日本の手工芸の美を体験して欲しく、絣以外の着物や羽織、帯、京友禅サリーなども引っ張り出し、トルソーも4体準備してディスプレイ。気づけば展示会状態だ。袋帯の結び方、間違っていると思うが、ご容赦を。

    先月の一時帰国時に、またしても購入した中古の着物や帯。わたしは「掘り出し物発見」の才能があると、自分でも思う。螺鈿引き箔の帯や、絞りの赤い着物や、琉球絣の着物など、いずれも古いが、仕付け糸がついた新品を、見つけ出してきた。1年前に購入した辻が花の着物も、本当に麗しい。いずれも、廉価である。

    着物だけでなく、久留米で開催された展示会で購入した久留米絣の洋服も飾り、詳細を説明した。久留米絣は、手織りと機械織りの両方がある。伝統的な手法は、糸を束ねて手括りで柄を作り、天然藍で染め、手織機で織る。

    一方、色彩の豊富な反応染料を用い、機械で織り量産される久留米絣もある。伝統柄もあれば、モダンにアレンジされたものもあり、用途や目的に応じて選べるのが魅力だ。いずれも木綿で丈夫、着心地がよいことには変わりない。ただ、手織りの風合いには、得もいわれぬ魅力があり……と書き始めると長くなる。

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    4人の若者ら。テキスタイルを学んだ人もいれば、建築から転向した人もいる。空間デザインを学んでいる人もいる。異なるバックグラウンドを持つ彼らは、しかし「人間の技」に対する関心が強い点において共通している。我が家にある漆器や陶磁器、茶器、博多人形、鉄瓶に銅器、江戸切子に曲げわっぱなど、日本の伝統工芸を食い入るように見ている。

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    今回、天然藍染の端切れを入手していたのだが、それらを眺めていたら、一人がくんくんと匂いを嗅ぎ始めた。「僕、藍(インディゴ)の匂いが好きなんです」と笑顔。みな笑いながら、しかし一斉に、端切れを手に取って、くんくんと匂いを嗅ぐ。

    決していい香りとは言い難い、独特の土っぽい、少し埃っぽい匂いがする。今、調べてみたところ、これは藍染の過程で発生する「藍玉菌」というバクテリアの活動によって発生するものらしい。ちなみにこの匂いには防虫効果があるという。ゆえに古くから、店舗などでは藍染の暖簾が利用されていたのだという。面白い。

    実際に、見て、触れて、匂いを嗅ぐ。体験することの尊さを、改めて思う。

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    何度か掲載している、祖母の写真。大正時代、100年以上前の久留米絣。特に集合写真の女子らの着物の、その柄の美しいこと。実際には、どのような藍の濃淡だったのだろう。カラーで見てみたいと夢想する。

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    インドの伝統衣装であるサリーへの関心を端緒に、これまで20年余り、インドの伝統的なテキスタイルに親しんできた。あくまでも、「サリーが好き」だという嗜好の域だったテキスタイルへの関心。2年半前に「京友禅サリー」を通して日本の着物世界を垣間見、1年半前の一時帰国時に立ち寄った中古着物店で伝統的な着物のすばらしさに衝撃を受け、関心は益々高まった。

    学びの過程でありながら、この1年半、いくつもの展示会やトークを実施した。機が熟すのを待っていては人生が足りないので、動きながら学ぶ。軌道修正しながら進む。大切なのはプロセス。過程。気づけばテキスタイルを通しての活動は、我がライフワークの一つとなりつつある。もちろん、わたしは専門家ではい。その立場をわきまえつつ、自分が経験した範囲内で、ストーリーをシェアしている。

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    インドのテキスタイル。歴史はインダス文明時代に遡る。数千年前の技術が今なお変容しつつも引き継がれている様子に感嘆する。陸をたどり、あるいは海を渡って、地球の随所で発生してきた人間の手技の匠に心を動かされる。極東の島国、日本に、大陸の技がたどり着いて育まれ、極まる浪漫に思いを馳せる。

    過去数十年。テクノロジーの絶大なる進化で、人類史上例を見ない豪速で、我々の生活環境は変化している。テクノロジーの恩恵を受けつつも、しかし自分の手を使うこと、脳みそを使うこと、工夫をすること、試行錯誤することは、益々、大切になるだろう。

    人間の手作業を尊重し、維持し続けることは、時代の流れに逆行することではない。人間が、人間であるために、絶対的に守られるべき「砦(とりで)」だと思う。そもそも、便利が過ぎると楽しくない。創造の喜びがない。疲労のあとの達成感がない。

    先日、The Registry of Sareesを主宰するAllyに声をかけられ、オフィスを訪れた。The Registry of Sareesは、手紡ぎ、手織りテキスタイルの研究機関だ。詳細は、当該サイトをご覧いただきたい。また、わたしが以前訪れた展示会の記録も写真とともに残しているので、以下、添付する。

    The Registry of Sareesの同じ建物内に、同団体の商品販売部門であるYaliが併設されている。バンガロールの老舗サリー店、Mysore Saree Udyogとのコラボレーションにより生まれたという、手織りのテキスタイルによる衣類が並んでいる。 

    ここには若きスペシャリストたちが在籍し、テキスタイルの研究やファッションデザイン、あるいは展示会のデザインなどを手がけている。どれもが創造性に満ちていて、本当に興味深い。これまで幾度となく記してきたが、インドは若者人口が多いこともあるけれど、祖国の伝統を学び守り発展させようとする若い力が随所で萌芽していると感じる。日本の若い世代(年齢問わず、能動的に動く世代)の人たちに見てほしい……と、いつものごとく思う。

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    この日、さまざまな布を見せていただいた。

    インド亜大陸では5000年も前から、綿が栽培されてきた。写真にある茶色い綿は、染めたのではなく、もとから茶色い種なのだという。触ればふわふわと、子犬のようだ。英国統治時代、廃絶された種の一つだとのこと。当時、綿といえば「白」が主流になっていた。先日、MAP (Museum of Art & Photography)で開催されたテキスタイルのシンポジウムでは、ほんのりと赤いコットンの存在を知ったが、茶色もあったのだ。

    実は、1980年代に農学研究者が、シードバンクにあった数百年前の種をパラッと蒔いたところ、気づけば発芽していて、茶色い綿花が育ったという。しかもその農学研究者の名前が「Khadi」だというのだ。

    蘇った茶色いコットンは、染められることなく織られ、濃厚なミルクティーのような自然の風合いの布に姿を変える。背後にあるクッションがそれだ。このコットンを用いた衣類は、インディゴ(藍)のシャツなどと並んで、Yaliでも販売されている。

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    そのほか、マイクロスコープで布の表面を見せてもらい、細かな紋様に感嘆したり、金糸の造形(細い糸の周囲に超絶細い金箔が巻かれている)に驚嘆したり……。諸々、書きたいことは尽きず。

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    さて、この日、Allyから招かれた背景には、近々ムンバイで開催される催しへのご協力がある。ご縁は連なり、経糸(たていと)、緯糸(よこいと)、織りなされてゆく。この件については、長くなるので、後日改めて記したい。

    🌱大地の恵みを、いただきます! 12月5日「世界土壌デー」に、遍く命を育む「土」の世界を、掘りさげ学ぶ@ARAKU COFFEE (2021/12/6)

    🌱いにしえの交易、文化、宗教、地理……。歴史を映す「布の海」に耽溺す。(2023/12/21)

    🌳Roots & Route。ルーツとルート。ミュージアムで学ぶ、テキスタイルの歴史と現在

    ◉The Registry of Sarees

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    先日、在ベンガルール日本国総領事館の中根総領事から晩餐のお招きを受けて、我々夫婦は総領事公邸へお伺いした。わたしは、先日の一時帰国時、自分のために購入し、「ナマステ福岡」でも着用した赤い京友禅サリーを選んだ。日本の色合いだな……と改めて思う。

    昨年、わたしが急遽、コーディネートすることになったJWマリオットホテルでの着物ファッション・ショーに、中根総領事も参席されていた。その流れで、今年の天皇誕生日式典では、京友禅サリーの展示をさせていただく運びとなった。

    着物や京友禅サリーの展示だけでなく、日本の伝統的文化や工芸品の紹介、また日本とインドの関係史など、ここ数年、インドの人たちを対象とした催しやイヴェントを何度か開催してきた。かような活動に関心を持っていただいたことから、今回、夫婦ともども、ご招待をしてくださった次第だ。

    美味なる日本酒や日本料理をいただきつつ、夫もわたしも普段通りの饒舌さ(インド基準)で、会話は弾む。わたし自身が今、関わっている日本とインドのプロジェクトなどについても、ご相談する好機となった。

    天皇皇后両陛下のお写真を眺めつつ、日本国の政府機関を象徴する紋章でもある「五七桐(ごしちきり)紋」が施されたグラスを手にお酒をいただく。何とも感慨深い。温かなおもてなしに心より感謝する。

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    折に触れて記しているが、海外に住むほどに、自分が日本人であることを強く認識する。日本にいれば、わたしをして「坂田さん」「美穂さん」となるが、海外ではおおよその場合、「日本人のミホ」「日本人女性のミホ」あるいは単に、「あのジャパニーズ・レディ」という具合に、はじめに「日本」ありきだ。

    ましてや、我が家のように、夫がインド人となると、日常生活や会話の中にも、「日本では」「日本人は」というフレーズが頻出し、日本を客観的に捉えながら語ることが多い。従っては、好むと好まざるとに関わらず、自分の行動は一個人のものに留まらず、「日本」という国のイメージにさえ影響を与えることになる。日の丸が常にそばにある。

    「いつでも日の丸を胸に収めて、民間外交を堂々とやりなさい」

    明治時代、ボンベイに渡りマッサージ医院を開業した、かつて「からゆきさん」だった島木ヨシさんの言葉だ。マハトマ・ガンディやネルーにもマッサージを施していた彼女の経験たるや……。

    からゆきさんについては、かつてセミナー動画で言及し、さらにはYoutuberの眞代さんからのリクエストでコラボ動画も作った。そのときに使用した資料もGoogleDriveにアップロードしているので、ぜひご覧いただければと思う。闇に葬られた日本の近代史の片鱗を知るのも有意義だ。

    * * *

    「国際親善の基は、人と人との相互理解であり、そのうえに立って、友好関係が築かれていくものと考えます。国と国との関係は経済情勢など良い時も悪い時もありますが、人と人との関係は、国と国との関係を越えて、続いていくものと思います」

    これは、上皇天皇のお言葉だ。

    2013年、わたしはインドに来訪されていた天皇皇后両陛下(現在は上皇上皇后両陛下)御拝謁のお茶会に招待された。その一連の経験は忘れがたく、我が人生で一番、ありがたくも緊張した時間でもあった。自分でも気づかなかった「自分の中の日本」に、自分でも驚いたものだ。この時期、わたしは、天皇皇后の外交の記録動画などを、Youtubeを通して片っ端から拝見した。

    ご尽力とご配慮、ご記憶力……どれをとっても、尋常ならない卓越の域だと、心底、感銘を受けたものだ。

    インド生活20周年。節目の年にふさわしい出来事が続く。急がず、欲張らず、丁寧に、真摯に。自分を生かせる仕事をこれからも続けていこうとの思いを新たにする。

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    👘家族の記憶を紡ぎながら、色褪せない伝統衣装。着物ショーで躍動する半世紀前の和装(2024/10/28)

    🇯🇵チェンナイにて。天皇皇后両陛下御拝謁のお茶会参席を巡る個人的な体験(2013/12/07)

    🇮🇳🇯🇵「からゆきさん」を探る〈前編〉貧しい時代の日本。身を挺して海外で働いた女性たちの歴史を紐解く

    🇮🇳🇯🇵「からゆきさん」を探る〈後編〉「からゆきさん」を経てボンベイでマッサージ店を起業。タフな女性の生き様に見る民間外交。誇り高き信念。

    「からゆきさん」動画で使用した資料(Pdf)をこちらにアップロードしています。
    https://drive.google.com/file/d/1RamguJFCc3BZQuHF5MXIC2fvMv5zLZy3/view?usp=sharing

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    日曜の夜、バンガロール市街東部のホワイトフィールドへ赴いた。目的地は、和食レストラン「Hachi by Tenya」。新規開店前日の試食会に招かれたことから、浴衣姿で参上した。有松絞りのぶどう柄が気に入っている。

    「Hachi by Tenya」というからには、日本の「天丼てんや」と関係があるのかしら……と思いネットで調べて驚いた。「天丼てんや」は、ロイヤルホールディングスが運営していたということを知ったからだ。以前も何度か記した通り、福岡生まれのロイヤルは、わたし個人にとっても忘れ得ぬ思い出が詰まった「日本における外食産業の先駆け」だ。高校卒業後の春休み、わたしが初めてアルバイトをしたのは、かつて九州大学近くにあったロイヤルホストだった。

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    さて、複数の飲食店を擁するコンプレックスに到着。開放的で、何とも心地よい空間だ。ここの「BLR Brewing Co.」というブリューパブと「天丼てんや」がコラボレーションにより誕生したのが「Hachi by Tenya」だという。招待された時刻の7時30分から、わずか5分ほどしか遅れていないのに、すでに日本人ゲストで満席。わたしの席は、友人の志乃さんと伊藤夫妻と同じテーブルでうれしい。

    今回、招待してくれた双日(2021年、ロイヤルホールディングスと資本業務提携)のK氏は、わたしのInstagramをご覧になり、わたしのロイヤル愛をご存知のうえで、招待してくださったとのこと。聞けば、伊藤氏もロイヤルホストでのアルバイト経験があるとのこと。なんという偶然! 諸々、青春時代の思い出が蘇るが、ひとまずは現在に集中。

    前菜をはじめ、寿司や天ぷら、麺類が供されたが、さすが「てんや」だけあり、天ぷらが特においしい! ドリンクはBLR Brewing Co.のメニューから選べる。規模感といい、ロケーションといい、展開方法といい……さすがだ。

    インドでは、業種を問わず「新規開店」はハードルが高い。中でも飲食店は、インフラストラクチャーの整備や内外装工事、リカーライセンスの取得、従業員教育に食材調達網の確保など、諸々の段取りが、超絶たいへん。予定通り動かないのが普通なので、当初の予算を大幅に上回ってしまいがち。ゆえに、なるたけ小さめに余白重視でスタートし、体力を温存しつつの柔軟な展開は、切り札のひとつだといえる。

    K氏曰く、当面は、この店をインドのトライアル店舗としてマーケティングしつつ、メニュー開発はじめ今後の展開を試みるとのこと。我が家の近くにもぜひオープンしてほしいものだ。さて、宴もたけなわ、2杯目のグラスが届いた矢先に、閉会のご挨拶。え? もうおしまい?? 早っ……と思いつつも、聞けば、9時半からはインド人ゲストが招待されているという二部制だとのこと。

    ……さすがだ😅

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    自宅に戻り、ロイヤルホールディングスのサイトで沿革を読み、創業者である江頭匡一氏の「私の履歴書」(日経新聞/1999年)を再読する。タタ・グループの元会長であるラタン・タタと並んで、記憶に残っている連載だ。江頭氏もラタン・タタも、空に憧れ、パイロットであった共通項がある。わたし自身の空への憧れが、二人をより一層、魅力的にみせているのかもしれない。

    江頭匡一氏は、我が父とも面識があった。二人は同じ、嘉穂高校の出身でもある。どのような関わりがあったのかは知る術がない。戦後の高度経済成長期からバブル経済に突入するまでの日本の食文化の変遷は、わたし自身が体験してことでもあり、文字を目で追いながら、映像が脳裏に思い浮かぶ。

    1951年。日本航空の東京発、大阪経由、福岡着が、わずか1日1便しか飛んでいなかった時代に、彼は米軍基地での経験を生かして、機内食と空港レストランをはじめた。それがロイヤルの原点だ。1960年代、飲食業は「水商売」とみなされ、銀行からの融資を受けにくかった時代に、しかし松下幸之助をして「日本で最高の経営理念を持っているのは松下電器とロイヤルだ」と言わしめた。

    1968年、江頭氏は45歳で初渡航、約1カ月かけて欧米20都市を巡り飲食業界を視察。洗練された雰囲気とサーヴィスは欧州に、合理的な経営は米国に学んだ彼は、1969年、日本で初めてのセントラルキッチンを導入。1971年、モータリゼーションを見込んで北九州にロイヤルホスト1号店をオープンした。「外食産業」という言葉を日本に定着させ、1978年には外食産業として初めて株式上場を果たす……。

    店づくりに大切な哲学(フィロソフィー)に思い至るまでの経緯もまた面白く、だめだ、紹介したい話題が多すぎて尽きない。

    最後の写真は、今回の一時帰国を終えて、福岡空港から成田へ飛ぶ前に立ち寄った空港内のロイヤルホストの朝食。

    🗞『私の履歴書』江頭匡一(1999年)

    【長くなるが、2022年に書いたブログの記事を加筆修正して転載する】

    ◎高度経済成長期の昭和40年、福岡に生まれた我。外食産業も急成長の時期。ハイカラを好んだ両親に連れられ、新天町「ロイヤル」(ロイヤルホスト前身)によく訪れた。

    ◎わたしが、初めて「ナイフとフォーク」を使ってパンケーキを食べたのはロイヤル。ハンバーグステーキ、グラタンにドリア……。5歳か6歳のころ、生まれて初めて「イタリアン・ピザ」を食したのも新天町ロイヤル2階だった。

    ◎オレンジジュースといえばバヤリースの時代。米国直輸入の果汁100%のオレンジジュースは父の好物。母はショッキングピンクのゼリーがたっぷり入ったサンデーを。私と妹は、ストロベリーパフェやプリンアラモード、くり抜いたオレンジや、メロンの皮が器のシャーベットをよく食べた。

    ◎我が初のアルバイトはロイヤルホスト。1984年高校卒業後の春休み時給430円。面接日「明後日までに暗記してきてください」と渡された分厚いメニュー、百を超える料理名と値段、添えるカトラリーや調味料もすべて暗記して初日に挑んだ。

    ◎バイト初日は、左手にグラス3つ手首におしぼり、右手にグラス2つ「トレーを使わず」供する訓練。ディナープレートも左手に3枚。右手に1枚。複数テーブルを一人で担当。3秒以上の停止は禁止。常に動いてコーヒーやお冷の補充。サンデーやパフェは自分で作る。

    ◎店長曰く「ロイヤルホストには和食がありません。家庭の味には敵わないから。これは江頭の方針です」「スパゲティが硬か。茹でが足りんばい、と言うお客様がいらしたら、これが本場の味だと伝えてください」。「アルデンテ」というコンセプトを日本の大衆にもたらしたのも江頭氏。

    ◎別のロイヤルホストのキッチンでバイトをしていた高校時代の男友達。当時、料理の多くはセントラルキッチンで作られた冷凍物を再加熱し盛り付けるだけだから、調理はさほど難しくなかったという。そんな中「キッチンで、腕前が試されるメニューが2つあるっちゃん。何と思う?」

    ◎考えるも結局わからず、彼が種明かし。「一番難しいのはパンケーキ。あれは、注文受けてから、自分で焼かないかんとよ。均等に焼くの、難しいっちゃん」「あと、サラダの盛り付け。立体的にせないかんと」「俺はどっちも、うまくできるようになったけどね」

    ◎「俺、時給が決まっとうけんって手抜く奴、好かんっちゃん!」「私も! わかる〜。同じ時給でも、私たち、一生懸命働くよね」「仕事って、お金のためだけじゃないと思わん?」ロイヤルホストでの初バイトで学んだことは多い。自らの労働で糧を得るということ。

    ◎初めてお給料を手にした18歳の春から幾星霜。仕事に対する姿勢や熱意は、あのころと、今もさほど変わらない。

    🥞ロイヤルホストで昔日懐古。母校を訪ねて40年前を偲ぶ。(2024年6月)

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    バンガロールを拠点に、インド各地の職人たちによる多彩な手工芸品を販売するバザール、A HUNDRED HANDS。年に2、3回、催されるこのバザールには、これまで都合がつく限り訪れてきた。また、ミューズ・クリエイションで書道や折り紙のデモンストレーションをさせてもらったり、着物の展示をしたりと、関わってきた。

    一昨日は、買い物に集中すべく、訪問したのだった。

    パンデミックが明けて以来、それまで年に1度だった一時帰国を2度に増やし、福岡に滞在する日数も増えている。前回は10月に帰国したばかりだが、次回は来月。母が白内障の手術をするタイミングに合わせて、約1カ月の滞在だ。
    もっとも、ずっと福岡にいるわけではなく、今年は生まれ故郷の熊本など、近場を一人旅しようと思っている。前回訪れて心を奪われた壱岐へは、母を連れていきたいところだが、それは目の具合次第だ。

    インドへ帰る直前の4月初旬、折しも、「ナマステ福岡」というインド関係のイヴェントが開催されることがわかった。帰国直前に立て込むのはいかがなものかと思ったが、せっかくの機会。2日間に亘ってブースを借り出店することにした。

    前回、福岡市美術館で「旅する朝活セミナー/インドと日本を結ぶ布」を一緒に企画・実施したMISAさんにも声をかけたところ、彼女も大いに乗り気で、今回も一緒にやることにしたのだった。

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    A HUNDRED HANDSの創始者であるMalaのアドヴァイスを仰ぎつつ、日本の人たちの嗜好も意識しつつ、しかし自分が気に入っているものやおすすめしたい「良質で軽くてすてきなもの」を中心に選ぶ。

    ひとつひとつの工芸品や職人、アーティストのことについても言及したいところだが……今日はこれからお出かけだ。

    詳細は後日、告知したい。

    [👋A Hundred Hands 01] 手工芸品のバザールにて着物を展示。大好評!

    [👋A Hundred Hands 02 ] 遂にはファッションモデル・デビュー?!😂

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    4週間の福岡滞在を経て、ようやく今日、バンガロールへ帰る。今、成田空港のラウンジにて、長大な記録を書き上げた。その直後、パソコンの妙な不具合で、全部消えた。驚いた。

    今日のところは、多くを語るなということだろう。なにしろ今、やや酩酊状態につき。

    ゆえに、ナマステ福岡2日目の写真だけを載せておく。バンガロールに戻って、今回の稀有な一時帰国と心の旅について、じっくりと記したい。

    初日に着たAshdeenのパールシー刺繍のサリー。そして2日目に着た京友禅サリーにまつわるご縁に満ちたエピソードもまた。

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    鹿児島、熊本、久留米、東京……。他のご用もおありだったにせよ、予定を合わせて会いにきてくださった方々、本当にありがとうございます。

    一緒に出店してくれた美砂さん、今回もありがとう。

    そしてナマステ福岡主宰者のクマルご兄妹はじめ関係者各位、ありがとうございました。

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    人間万事、塞翁が馬。

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    母の白内障手術の伴っての一時帰国だった今回。確かにタフなこともあったが、それを補って余りある有意義。今回の旅でさらに深まった故郷の再発見。それに伴う新たな出会いやビジネス。自らの視点と心境の変化……。29年ぶりの弥生の空。舞い降る桜。

    今年は、人生節目の年であり、日本生活と海外生活が30年ずつと、半分になる年でもあり。

    すべてはカルマ。神の計らいか……とさえ思えるご縁の連なりを実感する。

    実家の掃除中に発見された、さまざまな過去からの声。今まで見つけられなかったのに、出てきた思い出の品々など。

    人生とはずっと種まきの連続で、肉体はさておき、精神は、晩年に花開くものなのかもしれない。最後の瞬間に麗しく開花し、潔く散る桜のように。

    高校時代に国語の参考書にあった大岡信の『言葉の力』というエッセイを思い出す。

    ……ん? 気づいたら、またしても書き込んでいる。今日のところはこの辺で。夫と猫らの待つ我が家に帰ります! 😾😼😺😸🤓

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